異世界より、まだ見ぬ故郷へ

親というもの

昨日は実家に寄った。

私の家族は父1人。

兄弟もおらずもう長いこと父と二人でやってきた。

非常に仲良しというわけでもないけれど、私にとっては一生の恩がある大切な人である。

 

そんなわけで、一人暮らしを始めた時に互いの生存確認も含めて毎週日曜日はどんなに忙しくても仕事が休みでどんなに外に出たくなくても実家に寄って一緒に夜ご飯を食べると決めた。

 

それで昨日実家に寄った。

昨日は日曜日なので、仕事も忙しくさらに食材の買い出しもしてからだったので寄る時間が遅くなったのだが、実家に寄るとたいそう豪華な食事が用意してあって驚いた。

こじんまりとスーパーの総菜を一緒に食べながらテレビ見てという実家にいたころの日曜日かなと思っていたので。

 

驚いたし、ああ、親ってこういうものなんだなと感じた。

ありがたく寿司と肉をいただいて2時間くらい実家で過ごした。

 

子供のころ、たびたび遠方の親戚の家に遊びに行っていたころがある。

そのときも私たちが来るからというのもあったとは思うが、そこのおばさんがたくさんの料理を作って2台のテーブルいっぱいに料理が並ぶ光景がよく思い出される。

そして、その家にそこの成人した子供たちや奥さんらが帰ってきて一緒にご飯を食べるというのが習慣だった。

昨日はその光景を思い出した。

 

帰り際には余った肉やら食べそうな食材買っておいたから持っていけといろいくれてて、とても助かった。

 

そうして、実家を出て車を運転して家に帰るときなんだか父の言動を思い出して泣きそうになってしまった。

実家を出ると決断した時、そして実際に一人暮らしを始めた時にはあまりこういう感情はわかなかったのだが今になってなんだか涙を流したくなったのだ。

でもどのような感情によるものなのかはわからなかった。

悲しみではないし寂しさや孤独感でもない。

うれしさというのもしっくりこない。

 

近しいのは、親というものはこういうものなのかというのを痛いほど実感したからだろうか。

テレビなどで実家からいろいろ送られてきたといった話はよく聞くが、まさか自分も親からそんな風な心配というか心遣いというか、そんなことをしてもらえると思ってなかったのでなんだかとてもありがたかったのだ。

 

実家に来てくれるからと寿司やら肉やら用意してくれたり、ちゃんと飯食ってるかと私の分も幾ばくか食材を買っておいてくれたりそれがとてもありがたかった。

 

 

 

わたしは大学時代、自殺を試みたことがある。

子供時代のだいぶ早い段階から人間関係に躓き、不登校になったり情緒不安定な時期も続いた。

そのため自分は無能だと思っていたし、誰からも必要とされず自分が死んでも世界は問題なく回るのだからよいのだと思っていた。

そして父も、私がいなくなることで喪失感はあれど楽になるのではないかと考えていた。

 

そうして自殺を確実なものになるよう、また、できる限り周りに迷惑をかけないように事前にいろいろ調べた。

それでもやはりどうしても迷惑は掛かってしまうし何より遺体の状態が当たり前だが非常に醜いものになるのだと知ってしばらくはなんとか限界まで頑張ろうとしていた。

だが、自殺の実行というのは本当に衝動的なものであった。

あるときほんの些細な出来事でもうだめだ、遺体の状態とか周りへの迷惑だとかどうでもいいやという心持になりすんなり首をくくってあとは踏み台をけ飛ばすだけというところまで簡単に来てしまったのだ。

 

その時の光景はよく覚えている。

夏休み前の課題をやっている最中ふとすべてのストッパーが外れて体が動き出した。

よく晴れた日で、日差しが部屋の中に差し込みとても明るかった。

そんな中、自宅の部屋のドアノブに当時一緒に暮らしていた愛犬のリードをつないで輪を作り、その輪に首を入れてその様子を私の正面におすわりをしてみていた愛犬としばらく見つめあっていた。

 

そしてわたしは部屋全体を見まわした。

これから私は死に、夜仕事から帰ってきた父親がその遺体を発見する。

警察や消防・救急が自宅にやってきて遺体の調査が行われ父は警察から事情聴取を受けるだろう。

近所は騒然として見物人が出てくるかもしれない。

そうして葬儀が終わり、この家に一人父は生きていくことになる。

 

そんな想像が目の前に広がったときにふと自死遺族のブログを思い出した。

自殺を決意した時、残された者はその後どのような人生を送るのかということも調べてあったのだがそのときに見たブログを思い出したのだ。

それは、息子さんが自殺をされた方のブログで、亡くなって10年たってもいまだに心の傷はいえず息子さんのことを思いながら日々を生活していることが書かれていた。

 

10年。

長い月日だ。

おそらくこの方は自分が死ぬまで傷がいえることがないのだと私は思った。

そして父もまた、そうなのかもしれない。

どんなにできの悪い子どもでも実際にいなくなるというのはとてつもなく大きな喪失なのではないか。

10年後、20年後年老いて体も思うように動けない中、子どもの亡くなった家でたった一人背中を丸めて静かにくらしている父の姿が思いうかんだ。

そのとき私はこう思ったのだ。

私は普通の人生もろくに歩めず周りのように立派な親孝行すらできない人間ではあるけれど、最大の親孝行というのは社会的地位や高収入を得て親に高級な旅行やプレゼントをしたり楽をさせてあげるということではなく、ただただ親よりも先に死なないことではないかと。

これが子どもが親にできる最大の親孝行であり恩返しではないかと。

 

私が死んでしまえば、それまでにかかった莫大な養育費や時間が全部パーになるのだ。

そうなったら彼の人生はなんだったのか。

そう思ったのだ。

こんな経緯でダメな人間でも生きようと考えなおすことができ今も生きている。

 

 

これから先どうなるかはわからない。

だが、現時点ではあのとき死んでしまわなくてよかったと思う。

あのとき死んでしまっていれば昨日の出来事は知らなかったのだから。

また、その後学んだこともある。

生きているだけで意外と親の役に立っていたんだなということ。

人がいるという存在感は安心につながっている。

ごはんを作ったりパソコン操作や公的機関の手続きなどの手伝いなど、どうやら非常に助かっているようだということも知った。

生きていること、親より先に死なないことが最大の親孝行だという私の考えは間違ってはいなかったことがわかった。

 

私は幸せだ

 

そんなことを思いながら帰路についた。