異世界より、まだ見ぬ故郷へ

仕事ができない人?

暑い日が続いている。

この時間は真昼間に比べたら涼しくて頭もすっきりしているので貴重な時間だ。

 

さて、最近少しイラっとすることがあった。

それは、自分よりも仕事ができないと感じる人々の言動についてだ。

 

なぜ今それをやるのか、なぜそんな非効率的で必要のないことをやっているのか、自分の仕事は簡単に人に任せるが人から任された仕事には言葉を濁して不機嫌になったり文句を言うのか。

 

仕事中このような人々に遭遇することで心が乱れてしまうなと感じたのでなぜこのイラっとする感情が湧くのかを考察してみた。

 

結論としては、他人の仕事ぶりがどうとかいうことではなく自分の承認欲求のためであると考えた。

 

つまり他人の言動に原因があるのではなくて自分の承認欲求が満たされていないことによる心の渇きから他人の言動を引き合いに出しイラっとする感情を作り上げているということだ。

 

自分よりも仕事ができないと感じる人にイラっとする。

そこにはこんな欲求がある。

 

この人たちよりもずっとまっとうに仕事をこなし、作業の目的を考慮した効率的な進め方を実施し数値的にも実績を出している。

また、手抜きをする人や非効率的な動きをする人のフォローにもまわり、人員不足の中残業をして早く帰る人たちの分まで仕事をこなしている。

だから、こういった人たちよりももっと評価されて当然だし、評価してほしい。

なぜしてもらえないのか、私の働きぶりを周りはどの程度理解しているのか?

という承認欲求である。

 

これに加えて、わたしにはそのコミュニティの中で優秀な人間になりたいという意志が強く、日々優秀な人の行動を見てもっと円滑に進めるにはどう動けばよかったか、どうすれば正確さを低下させずに作業スピードを上げることができるかといったことを考えながら仕事をしている。

自分に厳しいのだ。

そのため、その自分を見る目というものをそのまま他人にも使っている可能性が高い。

だから余計に非効率的で楽したいがための行動に反応してしまうのであろう。

 

では、ここで考える。

わたしは本当に、もっと評価されるべき人間であるのか。

わたしの承認欲求は適切なものであるか。

 

 

職場にとても仕事のできる優秀な人間がいる。

これはわたしの主観ではなくて、上司やほかのメンバーからもそのように認められている本物の優秀な人だ。

 

その人をみていると、その圧倒的な仕事ぶりで周りと大きく差をつけ周囲が評価せざるを得ない状況を作っているということだ。

本当に評価されるべきという人は自然とそうせざるを得ない状況を作り上げ、評価を望んで獲得するというよりもその仕事ぶりに評価が勝手についてくるのである。

 

そして、わたしはまだまだそこにたどり着けていない。

結局わたしもまだまだ仕事のできない人間なのである。

 

よって、私の弧の承認欲求は不適切であり、傲慢な欲であったといえる。

ではこの承認欲求を解決するにはどうすればよいか。

 

それは、他人の仕事ぶりに目を向けることなく自分の仕事ぶりに注目し周囲がこの人は自分やほかのメンバーと違うなと思わざるを得ない働きの習得に邁進する事。

ただ、そうはいっても非効率的な動きをするわ自分が楽したいがために仕事を押し付けたり文句を言う人にニュートラルな感情はまだ持てないのでその対策としては彼らの言動を常々予測しながら自分の行動計画を立てるようにしようと思う。

この作業は面倒で時間がかかるからわたしに押し付けてくるな、だからこういう動きをしよう、この人は今必要な作業ができず別の作業をやってしまうからわたしが動こう、といった具合に。

 

ついつい、またこの人はずるをしようとしているな、なぜ今見当違いのことをやっているんだろうと感情的に反応しがちだ。

けれど重要なのはそうした反応をして他人をこういう人だと判断することではなくていかに作業が円滑に進むかどうか。

わたしは、そういう人たちの行動を考慮した自分の仕事の進め方の身に集中すればよい。

 

 

心の乱れの原因が明確になり、解決策もできたので再び心の平穏が訪れた。

 

 

 

だから