軽蔑という感情との向き合い方
お盆も終わりですね。
この「盆」という言葉、実は略語であったことを最近知った。
正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」というらしい。
15日まで仕事が入っており休みなく働いていたが今日は休みをとることができ、父もまた今日まで休みというらしいので二人で祖母の墓参りに行ってきた。
ただ行って帰ってくるだけではあったがスーパー以外に出かけることもない身であるため良い気分転換になった。
先日も書いたけれど、実家に寄ると本当に親のありがたみというものを実感する。
ちょっとの心遣い、気にかけがとてもエネルギーとなって頑張って生きようと思えるしこの人の顔に泥を塗って井戸の中に蹴落とすようなことをしないよう誠実に生きていこうと思うのだ。
さて、今回のテーマは「軽蔑」について。
軽蔑という感情は自分にとっての当たり前を他人に押し付けることによって生じる感情ではないかという話。
わたしには明確に軽蔑という感情を生じさせる人間の性質というものがある。
周りの状況を見ずに自分勝手に物事を推し進めること
(図々しいともいう)
感情的でそれをコントロールできず周囲に対し攻撃的にふるまうこと
敬語を使えないこと
接客を担当しているのだが、日々多くの人間の言動を垣間見るにあたってこうした人間が自分の思っていた以上に多いという印象を受ける。
そして客のみでなく職場にもこうした人間が一定数存在し、もれなく周囲から嫌われていたり職場やチームのがんとなっているようである。
先日、そういう性質を持つ職場の人間に絡まれそうになった。
その人は感情的で常にイライラしている。
文句がたくさんあるようで人を捕まえては仕事中でもお構いなく長々と他人の文句を関係のない人間に八つ当たりのような形でまくしたてるのだ。
その日は週の中でも特に忙しい日ですぐに売り場に戻らなければならなかったため、また長時間拘束されては困ると思い相手の反応もそこそこに早口で会話を終わらせ非常に冷たく扱ってしまった。
話しかけられたとき、瞬時に脳が反応したことを実感した。
それは常日頃からその人間の言動を見て「軽蔑」の念を抱き勝手に敵だと認識しているからだ。
そして軽蔑しているからこのような人間にさく時間など無駄であるという思考が生まれ、冷たく雑な態度をとるのだ。
わたしはこの自分の思考と行動が非常に気になった。
後から振り返って自分と相手のやり取りを改めてみた時、自分の言動がなんと幼稚であるかと思ったのだ。
そうした相手の言動にいちいち反応し応戦しようとするような態度をとるなど結局は自分も同じレベルにいるのにすぎないのだと気づいた。
そして、反応しないようにするためにはどうすればよいか解決策を見出すためにそもそもなぜ軽蔑という感情が生まれるのかを考えてみることにした。
わたしが軽蔑の念を抱くのは上記に記した性質を持つ人間に遭遇した時である。
人が傷つくことを平気でするだとか、人が頑張っていることを笑いものにするといった性質も対象だが仕事上で特によく遭遇する性質というのがそれらなのである。
で、その共通点は何かということを考えた。
それは、「私にとって当たり前のことができていない」ということであった。
わたしにとっては
周りの状況を見ながらなるべく周囲の人間に迷惑をかけないように行動する事
感情をコントロールする事
例え年下であっても仕事上関わる人や店員などには敬語を使い丁寧に接する事
というのはごく当たり前に日々やっていることだ。
わたしはそれらができて"いないようにみえる"人間たちに対して「なぜこんな当たり前のことができないのか?」「だからダメなんだ」という判断を勝手にしていたのである。
人間は、その思考や行動に影響を及ぼす遺伝子の細かな発現から成育環境に至るまで全く同じプロセスで人生を歩んでいるわけではない。
当然、人によって自分の「当たり前」は異なるのだ。
もっといえば真に「これが正しい言動」だといえるものは存在しないのかもしれない。
けれど自分の人生しか知らないが故、そのことに気づかず「自分が正しい」と思い込んでしまう。
私は完全にそれだったのだ。
「自分が正しい」という驕り。
軽蔑という感情は今自分がそういう状態にあるということを教えてくれるものなのかもしれない。
軽蔑という感情に関して理解を深めた。
そういう性質を持つ人々とかかわるときに、これまでよりも客観的に自分の言動を見ることができるようになるだろう。
だが、脳の反応は思考よりもずっと速い。
その脳の反応のふり幅を小さくするためには客観的に自分の言動をみるだけでは不足しているように思う。
ではどうするか。
自分の行動に着目する。
私は行動と感情は密接に関連していると考えている。
急いでいるときに素早く体を動かそうとすればもっと焦るし、その逆もしかり。
わたしはそういう性質を持つ人間とかかわるとき、早く撤退しようとして早口になったり適当にあしらうような態度をとっていた。
反応するからそういう態度をあえてとっている。
ならばその逆の行動をとればいい。
あえてゆっくりとしゃべり、相手の顔をよく見て会話をする。
この「ゆっくりした動作」によって一呼吸置き脳が反応するタイミングを逃がしてあげればいい。
その上でなお嫌な感情が残るならば自分を客観的にみる行為に移ればいい。
これでいこう。
人生は修行だ。
いかなるときでも心の平穏を獲得することができるようになるための。