自分の強みとは
今日、2日ぶりにDSのどうぶつの森を起動させたら仲良しだったバニラちゃんが引っ越してしまっていた。
お気に入りの子だったので結構ショック。
次はどんな子がやってくるのだろう・・・
そんなことはともかく、ここ数日わたしは自分の心の中をのぞいていた。
今日のテーマは「自分の強みについて」
結論からいうと
わたしの強みは「思考する事」であり、その思考が誰かの人生を生きやすくする材料の一つになったら幸せである。
たびたび人生の道に迷うことがある。
日々を生きていると、自分とはどんな人間だったか、どんな価値観を持っていたのかといったことを私の場合は忘れがちだ。
そのため、道に迷うとわたしは自分の心の中を覗き込む。
それらを思い出したり新たに発見したりするための時間をとるのだ。
そのとき大いに役立っているのが以下の分析ツールである。
・ストレングスファインダー(本を買って診断を受ける)
・MBTI
辛口性格診断16 ~あなたは誰と同じタイプ?~ (xn--16-573d25rtpd1v4e.com)
簡易タイプ診断 | 日本エニアグラム学会 (enneagram.ne.jp)
性格診断で自己分析! (xn--9-j83b46n30cf18d.com)
・MI(多重知能理論)
多重知能の診断テストで、9つの知能(得意・不得意)を検査 | ホットニュース (HOTNEWS) (hotnews8.net)
など。
科学的根拠はいかがか?というものもあるけれど、こういったツールは自分の性質を明確に言語化してくれるので今まであいまいだった自分の性質がよりはっきりと見えてくるので度々目を通している。
わたしの各種結果がこれだ。
<ストレングスファインダー>
1.内省
2.慎重さ
3.学習欲
4.分析思考
5.収集心
<MBTI>
INTJ(たまにINTP、ISTJと出る)
<エニアグラム>
タイプ5(次点でタイプ6)
(別名考える人と言われる)
<MI>
1.内省(4.29)
2.論理・数学的知能/言語・語学知能(3.71)
3.音楽・リズム的知能(3.29)
4.霊性・実在知能(3)
5.博物的知能(2.71)
6.対人的知能(2.43)
7.身体・運動的知能(2.14)
8.視覚・空間的知能(1.86) ()内は5点満点中のスコア
これらをみると根っからの「考える人」だなと思う。
確かに毎日何かしら考え事をしているし、自分の言動や感情を分析することも多い。
そしてこの内省という力のおかげで自分の感情をコントロールできるようになったり自分の言動や思考のエラーを改善することができ、結果として生きづらさというものをほんの少しずつではあるけれど取り除くことができているように感じる。
親との関係でもそうだ。
親とかかわる際の自分の思考や行動を分析・修正していく過程で良好な関係を築けるようになった。
自分にとっては非常に役に立つ力であると認識している。
では、他者に対してはどうだろうか。
正直成功体験が思い浮かばない。
たびたび知人から相談に乗ってほしいといわれる。
わたしの相談に対する基本的なスタンスは問題解決だ。
そもそもなぜわたしが自分の言動や思考を分析するかというと、よりよい自分に改善していきたいからだ。
そのために内省という力を使い、解決策がでるまで考え続ける。
しかし、少なくとも私がかかわった人々はそうではないらしい。
自分に対してやっている分析や思考をそのまま相手の問題に適用させても、「どうせ僕わたしはダメな奴だから、つらい…」で終わってしまう。
他者にとっては厳しいものなのだろうと思う。
徹底的に自分の言動や思考に向き合うし、自分のダメな部分をも直視して改善できそうなことか、できるならどうするかを考えていく作業だから。
他者の悩みというのは結局、その本人にしか解決はできない。
例えばその悩んでいる状況を底の深い穴に落ちている状態であると例えよう。
わたしはその落ちている人間に食べ物を与えたり穴から脱出するために使えそうな道具を与えることはできる。
だが、それを使うかどうかは本人次第なのだ。
他者に対しての働きかけによる成功体験はない。
だが、わたし自身は他者の思考に救われたことが何度もある。
わたしは悩んだとき、直接人に相談するのではなくネットで検索をして同じような悩みを持つ者を探す。
たいていブログがヒットするのだが、自分の価値観をよい意味で変えるような考えと遭遇することがある。
例えば、学生時代わたしは「普通」という概念について悩んでいた。
どうもわたしは普通からはみ出した宇宙人のような存在ではないかと感じていた。
そんな中あるブログに「普通とは所詮その集団の性質に依存するものであり、集団の性質が変われば普通の基準も変わるから絶対的なものではない」ということをもっとわかりやすく説明した記事があり、それをみてわたしは「普通とはどういうものなのか」を学んだのだ。
この学びが当時の心の支えになったことをよく覚えている。
思考も結局は自分の人生で経験したことから派生するものにすぎない。
そのためどうしても偏りが生じるし、見ることのできない視点もある。
それゆえ、他者の頭の中が我々には必要なのではないかと考える。
そして、わたしが経験したように他者の思考が時として誰か別の人を救うことができるのではないか。
相談として直接人とかかわりを持つことは得意でなくても自分の考えを頭の中から出すことはできる。
わたしの思考もどこかの誰かの人生が良い方向に進んでいくための材料になるのではないか。
常々思っていることがある。
それは、人や仕事に誠実で正直者が馬鹿を見ない世界になってほしい、そういう人間が報われる世界になったらいいということである。
どのような人間がここにやってくるのかわたしにはわからないけれど、その中には人生に悩み、それでもなんとか前に進もうと日々を懸命に生きている誠実で正直者の方たちが解決策を見出そうとやってきているかもしれない。
他者を救えるのはその本人だけだけれど、私の思考がそうした人の手助けの一部になったらいいと思う。
わたしが他者あるいは社会に対してできることって今の時点ではそれしかない。
そんなわけでブログタイトルがようやくしっくりしたものになりそうだ。
飽きっぽい性格ゆえまた変えるかもしれないけれど、当分はこれでいこう。
今できることを着実に。